何とかなるって!

アメリカで高校時代の夏のホームステイから大学院留学を経てアメリカ永住。そして起業へと繋がる私の話

ホストファミリーの話


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私を受け入れてくれたホストは夫婦と19歳の息子が一緒に住む家族でした。ホストの家族に到着後引き取られホストの家まで車で向かう途中がまさに私の思うオレゴンという感じでした。集合先は郊外の教会という感じでしたが車を走らせて10分もすると地平線は見えなかったけれどほとんご車とすれ違うことがなく、森の一本道という感じの道をどんどん進んで行きました。後でわかったことですが、ホームステイツアーの参加者のほとんどはアメリカの典型的な郊外の町と言った感じの地域にホストがいたのですが、私のホストだけが郊外の外側に位置するファームに住んでいました。なんと、120エーカーもある丘を切り開いた森の中の一軒家だったのです。ちなみに、今120エーカーってどれくらいかググってみたら東京ドーム10個ちょっとくらいと出てきました、、、。広大ですね。デカすぎますね。ホストの庭で地平線が見えるくらいですかね?ちなみに、野生の鹿がワンサカ庭を(庭というより森)を闊歩しておりました。ちなみに、一般道から砂利道を上がっていくとホストの家があったのですが、一応門があってそこに郵便ポストがありました。そこから家まで車で5分ほどで、毎朝車で新聞を取りに行っているのを知った時、ビックリしました。(ちなみに後日歩いてみたら25分の登山状態でした、、、。毎朝往復50分かけて新聞取りに行ってる時間はないですよね。)

ホストファミリーの先祖はカリフォルニアのゴールドラッシュの時に東の方から西海岸目指して移動した家族で、まさに森を開拓して農地を作ってというアメリカの開拓の歴史を生きた人たちでした。ちなみに家にはその時に大きな木を切るのに使っていたノコギリとかが今でも飾ってありました。

 

私が滞在した当時はホストダットは高校の教頭先生をしていました。いかつい顔をして恰幅の良いアメリカンという感じの人でした。実はいかついのは顔だけで、優しくていつも冗談ばっかり言っていて(ほとんど解らなかったけど)教育者という感じの人でした。英語がそれほど分からない私にも分かりやすい英語でいろんなことを話し教えてくれました。

ホストマザーは主婦でした。主婦と言っても東京ドーム10個分の敷地内には多数の動物がいたので、その世話などでいつも忙しそうでした。趣味はガーデニング。これまた大きな敷地内にイギリス風のお庭を作り、一人で雑草管理から水やり、デザインに施工と全部やっていたので時間がいつも足らない感じでした。夜はタバコをいつもふかしながら本を読み、夜更かしして朝はゆっくり起きてくる日本の主婦とは違いました。

その当時19歳だった息子は高校卒業後、消防士になるための勉強中で学校に行きつつボランティアの消防士をしていました。周りを森林に囲まれているオレゴンの郊外、田舎人口密度が低い地域の消防署には年から年中消防士を置いておく余裕はないのでボランティアで近所の人たちが消防士をしていました。本物の消防隊が車での初期消火活動をして延焼を最小限に食い止めることを主な任務にしている感じですかね?彼の部屋には消防無線のレシーバーがあって四六時中無線が入ってきていました。近所で火事があると夜中でも飛び起きて出て行き、日が明けた頃に煤だらけになった黒い顔で帰ってきていました。ちなみに彼には彼女がいて、その彼女が私の世話をよくしてくれました。ホストマザーが忙しい時など、彼女が送り迎えしてくれたり、遊びに連れて行ってくれたこともありました。

 

広大な敷地内にいた動物はペットの域を超えていました、、、。ちなみに覚えているだけでも

犬3匹、猫15匹、馬3頭、ロバ3頭、ヤギ5頭が飼われていました。私、実は動物好きではないのです、、、。 ホームステイツアーに申し込みの時、どんなホストを希望するかという質問書に答えるというのがあったのですが、そこに私が書いたのは、小さな子供がいる家族希望ということと、ペットが居ない、もしくは犬1匹くらいまで希望と書いたんですけどね、、、。全く正反対のホストでした。でも、それが結果的には最高のホストでした。

 

ちなみに、私は大学院留学したのはオレゴン大学の大学院。留学してすぐから1年間ほど、このホストの家にまた住まわせてもらっていたのです!

ホームステイ先の話


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その当時は大阪に住んでいて、大阪の空港にホームステイツアーの参加者が集まりました。確か5人ぐらいいたと思います。そこにはグループの引率者として九州の短大の先生が同行していました。丁度台風が大阪に向かって進んで来ていて飛行機がキャンセルになるかも、、、と心配していましたが無事出発。待っている間に自己紹介などしてみんなで飛行機に乗り込みまずは東京へ。東京の成田空港で、東京周辺からの同じツアーへの参加者と合流してポートランドへ向けて飛び立ちました。

飛行機の中では新しく友達になった参加者とホストからの手紙を見せあい、どっちのホストが良さげかなど今思うと失礼な会話で盛り上がり、その頃には私のあだ名は「大阪」と定着。理由は至って簡単。私が大阪出身で、大阪弁を話すから。あの夏にあったみんなは、学校での友達とは違っていて微かに感じる自分と同じ匂い、、、を感じとても心地よかったのを覚えています。あれはきっと外に目が向いていて、日本を飛び出したい人たちに共通するエネルギーの一種だったのかなと思います。

ポートランドに到着後、さらにバスに乗り込んで一路向かったのはみんながホームステイすることになっていた町、ユージンです。ユージーン市はオレゴン州第2の市で、オレゴン大学がある(しかない)典型的なアメリカ大学町です。 バスはみんなのホストが待つ教会の前に到着。そこで各ホストファミリーとのご対面となりました。私のホストダッドとマザーはいかにもアメリカンなピックアップトラックで迎えに来てくれていました。ツアー参加者と各ホストファミリーはお互いに写真を送り合っていたので、写真を片手に3週間預かることになる日本人の子供を探しているホストもいれば、さっさとホストを見つけて一緒に写真を撮っている人もいてみんな興奮気味だったのを覚えています。

私も私のホストもほぼ同時にお互いを見つけ、歩み寄るとお辞儀をしようとした私をいきなりハグして歓迎してくれました。でも、私がお辞儀しようとしたことに気付いていたようですぐに手を離して夫婦二人でぎこちないお辞儀をしてくれ、みんなで大笑い。そこで私は日本からずっと練習していた初めてのご挨拶!とそれなりに流暢に聞こえる英語で名前を名乗り、ホストとして受け入れてくれたことに対してのお礼を言い、3週間よろしくお願いしますと無事に言い終えました、、、、。が、これが予想外の展開につながりました。予想外の展開とは、、、、。「なんや、こいつ、英語分かっとるやん!」とホストに誤解されたのです。私が考えて練習したのは今思うと「セリフ」だったのです。私の通う学校に英会話というクラスがあってアメリカ人の先生が教えていたのですがその先生相手に挨拶のセリフを練習しまくって、発音も直してもらって、イントネーションなんぞも覚え、まさに挨拶だけは英語が喋れる人のように聞こえるくらい練習して行ったわけです。ホストにしてみれば英語はほとんど喋れませんと聞かされていたのにいきなり英語のセリフで挨拶されたら誤解しますよね、、、。そこまで考えていなかった私はそこから1−2日は苦労することになりました、、、。ホストが私が英語を分かっていると思い込んでフツーのスピードでフツーに喋ってくれていました。ポカーンとする私、返事がいまいち出来ない私に気付くのにはあまり時間はかかりませんでしたけど。ホストブラザーが「こいつ、全然分かってないで」と夕食の時にホストマザーに言っていたのはしっかりと分かりましたが。不思議なことに悪口系はやたらわかるのが面白かったです。他の話はいまいちでも、英語が分かってないよ、こいつ。などと言われている時はやたらきっちりわかるのが面白い、、、。でもその時はそれしか分かってないから余計に気持ちが焦って大変でした。それでも帰りたいとは全然思わなかったのも不思議です。

 


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アメリカ初上陸


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私のアメリカ初上陸は高校1年生の夏に行ったホームステイでした。3週間アメリカ人家族と一緒に住ましてもらいました。今でもある会社だと思いますが、高校1年生の夏にむけてカタログを見ながらどこの州に行きたいか、ホームステイの他にどんなことをするのかなどウキウキしながらカタログを見ていたのを覚えています。一番多かったのがカリフォルニア州でのホームステイツアー。今思うと、カリフォルニアと言ってもほぼ日本と同じくらいの大きさで、北カリフォルニアと南カリフォルニアでは文化も気候もご飯も、住んでいる人種の構成も全然違うのですが、その時はそんな違いがあるなど知る由もなく。そんな中で私が選んだのはオレゴン州。カリフォルニアの北にある自然がいっぱい残っている、有名な都市というとポートランドくらいしかない州です。なぜオレゴン州を選んだのか、、、というとこれまた小学校時代に遡るのです。私が小学生の頃、テレビドラマで「オレゴンから愛」というドラマがありました。

ja.wikipedia.org

 

それを毎週見ていたんですよね、私。日本と違いすぎるオレゴンの自然を見て、「こんなところに行ってみたい!」と夢を膨らませていたんです。今思うと、オレゴンも大きくてアメリカ北西部特有の鬱蒼と茂る森の広がる地域もあればハイデザートと呼ばれる雨のほとんど降らない高地砂漠の地域もあるのですが、もちろんそんなことは知りませんでした。ドラマで見るオレゴンで、建物が目に入らない地平線というのを体験してみたいと思ったのです。今となってはなんでそんなことを子供ながらに思っていたのかね?と思いますが、潜在的に日本の環境から逃げ出したかったというのはあると思います。

 

ということで、無事にオレゴンをホームステイ先に選びツアーに申し込み、まだあったことも無いホストファミリーに向けて英文で手紙を書いて提出したのを覚えています。昔の航空便用の薄―い紙に一生懸命自分のこと、家族のこと、住んでいた日本の街のことなど書いたのを覚えています。

ホームステイに出発する1ヶ月くらい前には私を受け入れてくれるホストファミリーからの手紙も届き、家族構成や滞在する町の名前などを知ることが出来ました。ちなみに家族構成はお父さんとお母さん、19歳の息子でした。ホストマザーは凄い達筆な筆記体でした。変なことを覚えているもんですね、、、。 日本からのお土産をいっぱい買い込んで、7月末の日本の学校の夏休みが始まってすぐに出発しました。この夏が私の人生の方向を決めたのは間違いありません。


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日本の大学を休学して遊学するのはもったいない。


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私は、日本の大学をとっとと卒業して、アメリカの大学院に留学、もしくはアメリカでインターンシップをす流ことをお勧めします!

 

知人を通して日本からサンフランシスコに留学(遊学)してくる日本人学生さんにたまに紹介されることがあります。大抵紹介されるのは有望な感じの学生さんです。どういう事かというと、何か強い芯がスッと通っている感じの問題意識や目的意識を持ってこちらに来ている感じの学生さん、日本の将来は明るいなと思わせてくれる感じの好青年たちです。ほとんどの学生さんは有名大学に在籍中で三年生の間に休学してきている様です。二年生までに取れる単位は取るだけ取って、、、という方が多い印象です。去年お会いしたのは上智大学の理工系に通う方でした。彼は使える英語を伸ばしたいという目標がありました。英語学校ではもの足らず、かといえこちらの大学に編入するのは、、、という事で英語学校+α系のプログラムを探していた様です。日本にあるいわゆる留学斡旋会社でサンフランシスコ市内の英語学校でビジネス英語プログラムを提供している学校に9ヶ月通い、”Certificate”という名の紙切れ一枚を終了証明書をもらえるという謳い文句でした。ビジネス英語のクラスでは何が行われているかというと、E S Lの先生が、雑誌の記事などをコピーして教科書を作成、学生はそれを読んで予習して来てクラスでディスカッションするだけ。ただ、お題を与えられてそれについてディスカッションをするので一応英語の練習にはなりますね。英語を話す機会を持つという観点からは良いことだと思いますけど、果たして6ヶ月とか9ヶ月とかわざわざアメリカに高っかい生活費を払って、英語学校にぼったくられてやる程の意義、成果はあるのか?と思います。日本でも同じやり方で練習できます、、、よね。

 

(ちなみに、上智大学を休学、ビジネス英語学校に行っていた彼へのアドバイスとして話したことはまた詳しく別の機会に書きたいと思います。)

 

 

ある意味、ビジネス英語と謳ってクラスを開講している英語学校は賢いと思います。まさにニッチなマーケットで、英語学校以上、大学・大学院未満のプログラムを探している無視できないくらいの数はいる人数をうまーく囲い込んでいるんですから。見習わないとね、このマーケットリサーチ力と商売っけ。

 

私の結論としては、今の時代、YouTube, Podcast にNetflixなどなど生の英語(米語、英語どちらも)を聞き、日本語字幕を見てリスニング、スピーキングを繰り返し(ほぼタダで)練習できますからね。

 

アメリカの英語学校のカモになり続ける必要は無いですからね。


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アメリカ留学といえども


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もうすぐバレンタイン


 

留学といえども、色々ですね。日本の高校を卒業してからすぐにアメリカにやって来る人もいれば、日本の大学に行き始めてから辞めてアメリカの大学に来る人もいる。日本の大学を卒業してから、アメリカの大学に再度来る人もいれば、日本の大学を卒業後、アメリカの大学院に留学して来る人もいる。

今日は、どのタイミングで留学するのが良いのかということなど、考えてみます。

 

私の周りを見回した時にアメリカに移り住んで成功している日本人を見た時、共通する事があります。それは全員が日本の大学を出てからアメリカの大学院に留学して卒業している事です。

 

私自身が日本の大学を卒業後アメリカの大学院に留学し、アメリアの大学、大学院で仕事をし、世界中からやって来る留学生と接し、また自分自身と私のアメリカ人以外の友人と接していて身にしみて思う事、それは「留学するなら、大学院!」という事です。

 

それはなぜか?

 

アメリカに残って仕事をしている人はそれなりの専門性を身につけています。その専門性はほとんどの場合、大学院に進学、卒業することでお墨付きを貰える感じでしょうか。大学しか出ていない外国人とアメリカ人が居た場合、どちらの方を企業は採用するでしょう?

ややこしいビザの申請などをしなくても即刻雇えるアメリカ人ですよね。アメリカでアメリカ人と同じ土俵に立った時に一つでも自分に有利なことを増やすには大学院の卒業証書はいい武器になると思います。実際、投資としては一番賢いかもしれません、もしアメリカに残りたいのであれば。もちろん、大学院で何を学ぶかによって就職のしやすさは変わってきますけれど。 ちなみに、日本に帰る予定であればアメリカの大学院の卒業証書はかえって邪魔ですかね? 知り合いでアメリカの修士号を持って日本に帰った女性は日本の履歴書に大学院留学関連の内容は一切かかないと言っている人にあったことがあります。日本ではかえって嫌厭されるそうです、アメリカの修士号保持の女性は。今でもそうなんですかね、、、。なんか凄く悲しく、切なくなったことを覚えています、その話を聞いたとき。

 

知り合いの日本人女性で日本での仕事を辞めて40歳代に入ってからアメリカの大学院に留学した方と先日話していました。卒業なさったので、お祝いのご飯でも、という話になり出かけていろんな話をしていました。彼女もアメリカの大学院を出て良かった、留学コスパは大学院が一番良かったと思うと話してくれました。大学院に入学するのをお勧めしたのが私だったので、良い助言を良いタイミングでもらえて良かったとアメリカ的にハグして感謝されました。そこで彼女が言った格言を。

 

「アメリカ大学院行くって、学歴ロンダリングだよね。」

 

うまい!っと膝を打っちゃいました。

 

ちなみに、私の周りのアメリカの大学院を卒業した日本人はそれほど有名な大学を卒業していないという何とも不思議な傾向があるのです。 もちろん日本の有名大学を出てアメリカの一流大学院を卒業している方もいっぱいいます。でも、大学院を卒業しちゃうと最終学歴は大学院になり、どこの大学を出たかなどという話は全然出てこなくなるんですよね、、、。面白いね。

 

 

留学したいなら大学院留学。おすすめです。


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Tres Leches (Milk Cake)

 

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Tres Leches



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南アメリカ出身の知り合いとデザートの話で盛り上がっていました。彼女の好物はトレス レッチェケーキ。スペイン語でトレスとは3、レッチェとはミルクを意味します。直訳すると3種のミルクケーキ。そのケーキは3層に分かれていて、各層がミルク、コンデンスミルク(練乳)、エバミルク(無糖練乳)に浸されています。アメリカのケーキはパサパサしたものが多いですが、このトレスレッチェケーキはミルクのおかげでしっとり。美味しいよねーなどと話している所にインド人のMちゃんが登場。

M:「何が美味しいの?」

私:「トレス レッチェ」

M:「トレス レッチェ? 3種のミルク?」

私:「そう。3種のミルクが使われてるケーキ。美味しいよ。」

M:「3種のミルクか!美味しそう!その3種って、牛とヤギとバッファロー?」

その場にいたMちゃん以外:「えー?!牛とヤギとバッファロー? バッファローのミルクって、どこで手に入るの?」

M:「え?違うの? 他の動物?」

私:「牛だけ。牛乳と練乳とエバミルク」

M:「インドでは牛のミルクも、ヤギのミルクも、バッファーローのミルクも飲むもん!」

私:「インド版トレスレッチェケーキは癖がありそうね」

M:無言

その日以来、Mちゃんにケーキを買うときは必ずトレスレッチェケーキです。もちろん、毎回「牛と、ヤギと、バッファローのミルクのトレスレッチェケーキでーす。」というツッコミが入ります。


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私がアメリカに住むのが好きな理由


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何でアメリカに住むのが好きなのかなとふと考えてみた。アメリカというより、ベイエリア限定かもしれないけど。理由の1つは普通に生活してるだけで、世界中から来ている人と知り合えることかも。世界の色々な文化に触れられて、面白い話を聞けること。

 

今回は思い出し笑いを今でもしてしまう、他の国から来た人との会話の話を書いてみます。ベイエリアにはインド人がいっぱいいます。ベイエリアの又の名はシリコンバレー。世界的に有名なIT系の会社がいっぱいあって、そこで働くインド人がいっぱいいます。2000年代初めに大学院で働いていた頃にあったインド人の大学院生、Mちゃん。彼女はエリートのインド人のフィアンセがベイエリアの有名校に留学するのに合わせて一緒にやって来て、自分は無名の大学院に通っている子でした。そのMちゃんからインドの事をいっぱい教えてもらいました。Mちゃんはインドのカースト制度の一番上のバラモンに属する層のインド人。ちなみに、一番上の層の中にもまた3−4段階あって、そのうちの一番上だと聞いてもないのに教えてくれたのは、やっぱりインド人独特の差別意識でしょうね。インド人同士では苗字でどの層に属するか分かるらしい。表立ってはカーストの層の話はしないけれど、他のインド人が何かやらかしたりしたらぽろっと差別的な発言が親しくなったら出るようになったのも面白かったな。そういう時はどういう意味か解説してもらってました。Mちゃんはどうやら無意識でそういうコメントを英語で私に言っていたらしく、本人はカースト差別なんか若い世代はしてないよーと思っていたらしくショックを受けていたのが不思議でした。いつも、「あのインド人め!」とか言ってるのを聞いて「お前もインド人やろ!外人から見たらお前も一緒じゃい!」と密かに思っておりました。

 

その彼女とインド料理を食べていた時の話。

右手だけでナン(平いインドのパン)を器用にちぎってカレーをすくって彼女は食べているのをみながら、私は両手を使ってナンをちぎっておりました。

私:「Mちゃん、右手だけでナンちぎるの難しくない?」

M:「練習したら難しくないよ」

私:「子供の頃に親から教えられるの?左手使ったら怒られたり?」

M:「そう。」

私:「日本のお箸の使い方をしつけられる感じと一緒かね?」

M:「そんな感じ。私、3歳くらいの時、左腕を背中に回した状態でロープでくくられて左手を使えないようにしてご飯食べてた。」

私:「ロープでくくる?それくらい左手をご飯の時に使うのはタブーな訳ね。みんなインド人ってそうやって育てられるの?」

M:「みんなそうやって育ったと思うよ」

 

などと言いながら私は左手とスプーンを使って食べておりました。左手をくくられるというのが強烈なイメージとして私の中には残っていました。その数ヶ月後、Mちゃんとフィアンセの彼と一緒に出かける機会がありました。その時に、MちゃんのフィアンセのA君と色々話しながらご飯を食べていました。A君はインド生まれで中学生からはスイス育ち。そのあとヨーロッパで人生のほとんどを過ごしているインド人らしくない人でした。

 

私:「やっぱり、インド人はみんな右手だけで上手にナンを千切って食べるよね」

A:「一応みんな右手だけでできるとおもいます」

私:「Mちゃんは小さい時に左腕を背中に回した状態でくくりつけられて躾けられたって言ってたけど、A君もくくられた?」

A:「いいえ。僕の両親はそんなことしませんでした。なりより、我が家には石鹸があったから」

私とA:大爆笑

M:無言で私とA君をにらんだ後、大爆笑

 

 

インドではトイレットペーパーをあまり使わず、左手で水を使って用便の後洗う習慣があります。なので、左手は不浄の手ということで右手のみで食事を食べる。いかにもヨーロッパ育ちでウィットにとんだA君らしい返しでしたが、今でも彼らに会うと思い出し笑いで盛り上がります。


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